私も考えよう
湯川さんが亡くなり、後藤さんが亡くなり、ヨルダンの戦闘機パイロットカサスベ中尉が亡くなり、そして今日、人質交換の対象だった死刑囚の死刑が執行された。『報復』だという・・・。
報道を知った時は、ずし〜んと底のない深いところへ落ちて行くような・・・そんな気持ちがした。遣り切れないというような生易しいものではない。
みんな死んでしまったのだ。・・・

このままでは、次々に人の命が奪われて行く。・・・そんな恐ろしい事が頭をよぎる。

・・・こんな時こそ冷静に落ち着いて、・・・挑発に乗ってはならない。

日本は、やはり地道に支援を黙々と続けて行く事・・・この道が良いと思う。
人類の宝である石油資源が集中する国、最も豊かであっていいはずの国が、どうして差別され殺され貧しい人がたくさんなのか・・・・。
巨万の富はいったいどこに行ったのか・・・。
差別と貧困
・・・
長い時間が必要だけれど、その連鎖から解き放たれるためには真理を学ぶ教育しかない。教育を平等に誰でも受ける環境は、大きな支援が必要になると思う。
揺れ動く国家の中で、最も基礎の支援・・・インフラの整備や、教育の支援
住むところ、食べるもの、安全な水、働くところ・・・
時間はかかるけれど、確実に安定感を増してくはずだ。
落ち着いた国家が出来てこれば、健全なイデオロギーが育ち、そこには過激なものへ歩み寄るような事が確実に減ってくる。

貧しさはすべての原因
教育の機会がなくなれば世の中を知る事も出来ない
学ぶ事はすべての根幹
・・・
そこのところを地道にずっと支援を続ける

自衛隊が人を殺してはいけない
日本は先の戦争でほんとに沢山の人を殺し、殺され・・・。
もうそれは決して繰り返してはいけない。
日本はその道を必死に模索しなければいけないと思う。

「必ず償いをしてもらう」・・・などと、子供のけんかでもあるまいし。馬鹿な台詞をはいている場合ではない。
挑発してはいけない、挑発に乗ってはいけない。

静かに地道に揺らいでいる国の支援を続けてください。
Date: 2015/02/04


年の始めに
雪のお正月。
恒例になっている奈良行きをやめて、ゆったりまったりの三が日を過ごした。

喪中で出られない友人を訪ねる事も出来、何年かぶりかの静かでたっぷり自由な年のはじめ。
明日から本格的に今年の仕事始めです。

今年上半期の予定
2月3月はグループ展三カ所(名古屋、瀬戸、浜松)
4月(多治見)、5月(山口)、6月(名古屋)と個展が続く。
4月には長野の仕事も入っている。
6月は企画展
生半可な仕事量ではない。
明日からは制作モードがずっと続く事になる。
健康で乗り切る事が出来れば楽しい好ましい日が続く。

・・・私の健康管理?
月3回のヨーガと月2回の整体
整体は調子が良くなければ随時診てもらう。
寝る前のヨーガ:これは快眠の元
エスカレーター、エレベーターは極力使わない
1週間に一度は1万歩を超える日をつくる
・・・と、まあこんなところ。

おしゃべりは大切なこと
それから、ショッピング、・・これはおしゃれにも日常生活にも気を遣うってことなので大切な事
映画を観る事
好きな演劇を観る事
好きな音楽を聴く事
本はたくさん読む
それと、お料理する事:これはストレス解消には最高、基本的にお料理は好き

今年もまた、こうして元気におおいに学び、おおいに遊ぶ
世の中に起きている事にも関心を持つ

4日に観た今年の大河『花燃ゆ』
「この世の中のために己がすべきことを知るために、己を研くために人は学ぶ」
『あなたに志はありますか?』





Date: 2015/01/09


二年が過ぎて・・・
8月27日、夫の命日、法要は先週済ませて、今年も一人で京都東本願寺へお参りに出かけた。
今年の夏は尋常ではない天候が続き、毎日傘を持たない日がなかったように思う。
全国各地で局地的にしかも実に激しい雨が降る。
中でも広島での土砂災害は悲惨なものだ。
連日の避難所暮らしは、心身ともにおおきな負担に違いないと、我が身に置き換えれば容易に想像できる。
この国は、一年中、災害にさらされて生きている。
国民の辛抱強さに支えられて、なんとか今日まで来ているけれど、国を司る方々はもう少し抜本的な対策を前例に惑わされる事なく打ち出して実行していただきたい。
「国民を必ず守る!」・・・と豪語されたのだから。

今日も雨が降るかもしれないな・・・と、日傘も兼ねて小さな傘を持って出た。
京都までは何に乗って行っても大して変わりはなく、のんびり出かけられる。

新幹線は自由席もとてもすいていた。
京都の駅にはさすがにたくさんの人。
外国からの観光客が増えていると、最近のニュースで良く取り上げられているけれど、こうして実際に出かけてみるとそれは実感かもしれない。
欧米からもアジアからもたくさんの観光客が来ている。

曇り空の京都、一年ぶりの東本願寺はいつも通り荘厳におだやか。
「弘さん来ましたよ」
広いお御堂に座ってしばらく話をする。
ふと、気がつけば何人かの方がやはり静かに祈りを捧げて・・・。

穏やかな風がふうっと吹き抜ける。

外の回廊に腰掛けてぼんやりと休憩。
風が気持ち良く、秋はやってくる。
二年前の今日は、朝4時に病院から帰宅したばかり、横になる間もなく5時には急変との病院からの知らせ。
それからのあっという間の・・・・。

その先を思い出す事がまだ出来ず、振り切って他の事を思い出すようにする。
京都は私たちにとって、あまりにたくさんの思い出があり、そんな思い出を作ってくれていた事に、今はただただ感謝している。
写真も何もいらないと思ったこの2年、心の中の思い出がこれほどに力をくれるものかと実感し、大げさではなく生きてこられた2年でもある。

いつまでも泣いてばかりいる私に「まだまだ当たり前よ。たった2年だもの、いっぱい泣けば良いよ」・・・と友人や娘たち。
なかなか時間がかかるけれど、思い出の地を独り歩く事は幸せな事。
思いながら生きて行けば良いんだ。

風はほんとに気持ち良い。
午後は建仁寺と決めていた。

小泉淳作氏の双龍図にあいに行く。
「あそこに入ると、何か視線を感ずるよね」・・娘がそんなことを言っていた通り、一歩足を踏み入れると不思議な暖かい風が身を包む。
見上げれば阿吽の龍。怖い顔ではない。

小泉淳作氏は亡くなったけれど、建仁寺の他のあのたくさんの襖絵や屏風絵のようにこの先何百年もこの天井に残って行くのだ・・・と思うと、小泉氏の「この絵は私が描いたものではなく、仏様が私の身体を使って描かれたもの」という言葉は重い。
彼はこの後、東大寺の桜と蓮の襖絵を完成させて世を去る。
私が描いたものではないから、『名はいれない』・・・。

建仁寺の広い建物のなかは、涼しい風が吹き抜けてそこここに思い思いに静かに座っている観光客の人たち。
私もその中の一人になって、静かに座っていた。
思い出しても、不思議と何も考えていなかったように思う。


Date: 2014/08/28


リクエスト

この4月から名古屋でも『inter fm』を聴く事が出来るようになり、我が家では終日ラジオが階下でも2階でもついている状況。
いろいろ生活リズムが変わったかもしれない。

なかでもご機嫌なのが、月〜木朝7時〜10時『barakan-morning』
夫からの影響でbarakanさんの大ファン。
土曜日のNHKFMだけが楽しみだった。
それが、毎朝聴かれるのですから楽しい朝が続きます。

先週の事。
娘の誕生日のお祝いにリクエストをしました。
以下がそのメール。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
リクエスト曲は Tears For Fearsの『Shout』

4月から名古屋でもinterfmが聴かれるようになって、私の月曜日から木曜日ま
での朝がすっかりかわりました。
ちょうどばたばたと動き回る時間帯に、大好きな音楽がバックグラウンドに流れ
ています。
特に好きな曲が流れる時は、思わず動きが止まってしまう事もありますが・・・。

「音楽番組にリクエストする」・・・初体験です。

何から書いたら良いのかわかりませんが、5月13日(火)は娘の誕生日です。
誕生日のお祝いにかけていただけたらとリクエストします。

もう28年も前になりますが、娘が小学校6年の秋、腫瘍摘出の手術を受ける事
になり入院しました。
病棟では一番年齢も小さく、看護師さんたちの計らいなのか病棟で最年長の方と
同室でした。
手術までの数日はなんだか楽しそうにも見えました。
ただ長時間に及ぶ手術なので、本人は誰よりも大きな不安を抱えていたと思います。
手術の前日麻酔の先生が「麻酔をかける時と、麻酔が覚める時に流す大好きな曲
をテープでもあったら持って来てくださいね」
とおっしゃってくださいました。
その時娘が決めた曲が『Shout』でした。

10歳の誕生日プレゼントに短波放送も入るラジオを贈ってから、彼女はBBCの
短波を聴いていたようです。
父親の影響もあって日本の曲より外国の曲をたくさん聴いていたと思います。

大好きな曲を手術室で聴く事が出来ると知って、なんだか急に元気が出たよう
で、不安が消え去ってにっこり笑って手術室に入って行ったのを、今でも はっ
きり覚えています。

その後も大病をしたり平穏な年月ではありませんでしたが、今はすっかり健康を
取り戻し、名古屋市内の大学の図書館で図書館司書として元気に仕事を してい
ます。
通勤中にバラカンモーニング聴いていると思います。
よろしくお願いします。

椎葉佳子(67歳)

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リクエストはそう簡単に取り上げていただけるものではありません。
前日の番組中、「tears for fears」の曲が流れた時、ああ明日はきっとダメだ・・・とあきらめていました。
翌日も同じアーティストの曲が流れる事はほとんどないからです。

それでもいつものようにbarakan-morning聴きながら朝食。
一曲目、その日誕生日のスティービー・ワンダーが流れた。
そのコメントが終わると、なんと!流れて来たのは『Shout』!!
「わ〜〜〜い!」
と叫んだのは当たり前です。
曲終了後、barakanさんが、私のリクエストメールを全文読んでくださいました。
感激です!!

しかも、その3曲ほど後、またスティービー・ワンダーが流れました。
『Golden Lady』
なんと、娘も自分の誕生日にとリクエストしていたのです。
バンザ〜〜〜イ!!!

・・・と、幸せな一日でありました。
Date: 2014/05/21


クラス会
4月の中旬土曜日、中学校のクラス会に出席。
中学校は名古屋市内だったが、クラスの半数近くが関東地方に居住しているため開催地は名古屋と東京とで交代となっている。
今年は東京での開催。
先回の東京は欠席をしたので、今年は出かけてみた。

東京での仕事をたくさん予定に入れて夕方には銀座4丁目へ。
クラス会の不思議は、久しぶりの再会でも数秒で長い年月がなにも無かったかのように縮まって話が弾む事。

卒業して50年余の月日が流れても、皆、実に仲良し。
中学3年間はクラス替えも無く、担任も代わらず。
中には小学校6年間(小学校も6年間クラス替え無し、担任も代わらず)、更には幼稚園2年間、果ては高校も同じところとなれば(高校はもちろん毎年クラス替えあり)、なんと幼年、少年、青年時代の最初まで14年間いつも近くにいて、同じ歴史の中を歩いて来た事になる同級生も多くいて、いつも仲良しという言葉が最も適当。

リタイアしても何か新しい事見つけて忙しくしている人が多く、もちろんまだまだ現役で仕事している人も多く、「早く次の世代へバトンタッチしろ」と、若い頃は息巻いていたのだから、「その言葉、今はそのまま自分たちへ・・・」って、笑い。

ずいぶん前の事だともうが、泉麻人氏の本の中に「付属族」という言葉があった。
泉氏自身も「付属族」との事だったと思う。
「付属族」の特徴としていくつか羅列してある中で今でも記憶に残っているのは、
『争いごと、競争する事があまり得意ではなく、他人と自分の間に共通点を見つけて、そこのところで佳き関係を構築していく能力に長ける』
『そこそこ出世はするが、トップには立てない。ナンバー2のポジションで力を発揮する』

妙に納得して未だに記憶に残っているというわけだ。

長い学校生活の中で、いろいろな事はある。今時のように、あの子とあの子は来年とはクラスを分けましょう・・・というような事は不可能だった訳だから、気まずい思いをいたずらに長引かせるわけにはいかず、友人の手を借りて、なんとか関係を修復して行くという事は確かに小学生の時から何度か見て来たし、私自身も経験して来た事だ。

「他人と佳き関係を作って行くことを学ばせていただいたね。」・・・と、お互いに確認し合って、「今度は名古屋、「古希」の年になりますね」

楽しき佳き時間を心より感謝。



Date: 2014/05/08


3月11日
3月11日、今年は寒い・・・。
あの日、2011年テレビの映像が凄まじい光景を映し出していた・・・雪が降っていた。

2013年3月11日、なかなかピリっとしない私を思いやってくれた友人が、京都への旅を提案してくれた。
特別何を話すでもなく、ただ大好きな京都の町をふたりで歩いた。
ホテルの庭から直接鴨川辺りに出られる。
出町柳まで歩く。
鴨川のたくさんの鳥たちと一緒に。
加古隆のクァルテットを聴きながら・・・。
ウィークデイの静かな時間。

生きている事を、想う大切な時間だった。

娘から「面接OK」の連絡、・・・そうそう、そんな日だった。

大切な人との突然の別れから自分を立て直す事がどれほどの事か・・・・、解ったように思い上がっていた自分を、薄っぺらな自分を思い知らされた時だった。
この身で傷つかなければ解らないのか・・・・と。
「生かされたものは、生きて行かなければならない」


2014年3月11日、浜松での仕事。
昨年の9月「ノリタケの森」で開催したグループ展を観て「うちの画廊でも是非開催させていただきたい」・・・と、申し出をいただき昨日からの開催となった。

ノリタケで企画したグループ展の最大の目的は「オファーを頂く事!」
ギャラリーさんに観に来ていただく事を大切にして来た。
ギャラリーさんに相性の合う作家を見つけていただく事が大きな目的でもあった。
オファーを頂いて、「個展」をする。厳しいお客様に支えられる事は作家にとって何よりの財産になる。
牛歩より遅い蝸牛の歩みかもしれないが、目先の事にとらわれる事無く、大いなる希望を求めている。

まるで「おこちゃまの夢」のごときではあるけれど、今の私に求められている事はそんな夢のような想いを途絶えさせない事。


2011年3月11日、そして翌日3月12日、
あの日を境に私たちは変わる事を選択したように思う。
確かにそれまでの生き方を、大きくはこの国の行くべき道を真剣に考えて、それは直接体験した訳ではないが、1945年8月15日に匹敵するかのようなうねりのような想いだったと思う。

月日は流れて(たかだか3年の)この日を迎える度に、辛さ、苦しさ、悲しさが増して行くのは何故?

高く掲げなければならなかったはずの「変化」「希望」
いつの間にかどこかに放り出されてしまう。
正と負に引き合うベクトルを、絶妙なバランス感覚で行くべき道を指し示して行くのが政治であるはずなのに・・・。

このごろ学んだ事、腑に落ちた事。
政治というものはバランス。

選ばれる・・・私たちが投票し選ぶ政治家はそれぞれのの利益集団を背負って国会に望む。
すべての国民の利益のために働く事など不可能なのだ。選挙でそんな事を言う候補者程信用してはいけないらしい。
様々な利益集団を背負った様々な国会議員が集まって、それをまさに絶妙なバランス感覚で優先順位をつけて行政を行う。
それこそがトップに求められる資質。
より多くの利益集団からたくさんの応援を頂いたトップこそ、より謙虚に、より慎重に少数の人たちの想いに心を馳せて政治を行ってほしい。

私は、3年前のあの「想い」を忘れない。
「わすれない」という事が、私自身への最大の力になると信ずる。


Date: 2014/03/12


あめ玉
友人の話。

電車に乗っていた。ある駅で咳をしている若い男性が乗って来た。
かなり激しい咳で咳き込みながら彼は友人の隣に座った。

わあ・・・いやだなあ、こんなに咳き込んでいる人が隣に座るなんて・・・。
思わず、顔を背けた。

止まらない咳にやきもきしていると、カサカサとかすかな音、「ん?」・・・。
その男性の向こう側に座っている年配の女性、
バッグの中からごそごそと小さな袋から出して「どうぞ」と一言、
そっと手渡したのは『あめ玉』
受け取ってあめ玉をなめた彼は咳き込みも治まりほっとした様子。

一部始終を目撃した友人は降りる駅までずっとうつむく事しか出来なかった。
恥ずかしかった。

私はなんと自分勝手、咳き込む男性に対して自分の事しか考えていなかった。
風邪移さないで!って感じ。
そちら側の女性は、静かにすっとあめ玉を出して・・・・。
彼の事、周りの人たちの事・・・気を配る冷静な行為。

・・・・・・・・

ああ・・・私もきっとこちら側。
『あめ玉』すっと出せる人になりたいって思う。

「大阪のおばちゃんみたいに『飴ちゃん』バッグに入れておこうね。
コーヒー飲みながら友人と出した結論。
Date: 2013/11/24


あまちゃんロス???
「あれっ!違う?そうか・・・」
朝8時、テレビの画面はいつもと違っていて・・・「なあ〜んだ」

楽しい半年だった。
様々な伏線にあれよあれよと驚かせられながら、それがまた楽しくて・・・。
大好きな役者さんもたくさん出てたし・・・。

朝が楽しかった。

トンネルを走って行くラストシーンは嬉しかった。
線路の先はいつの時代も未来への希望。

昨年東北へ出かけたおり、北リアス線に乗る事も考えたけれど、時間に余裕が無かった。
今度は必ず乗りに行こう。
三陸鉄道の復興をずっと応援し続けていた夫からもらった記念チケット。
「あの日」の日付印が押してある。

あまちゃんの歌「潮騒のメモリー」
♪来てよその火を飛び越えて♪・・・は♪来てよその日を飛び越えて♪
クドカンの思いはこれではなかっただろうかと・・・ディレクターさんのブログ。

また、東北の地へ出かけたいな。
Date: 2013/09/30


開催中
『ランプワークのガラス in ノリタケの森 2013 』開催中です。
雨の搬入に始まり、初日も雨。
昨日は避難準備警報も出る突然の激しい雨。
ギャラリー周辺の道路は冠水。

ギャラリー内では雨の音もなく、全く知らないでいた。
ずぶぬれのお客様がお二人入っていらして初めてしることになる。
急いで、バックヤードの窓から外を見ると、もう車は大変!!
車内に完全に水が入っている状態で、やっと走行している様子。

「私の車!!!」
土砂降りの中、駐車場へ走る!
靴は完全に水の中。

「良かった・・・!」
駐車場にはまだ水が来ていない。
でも、まだまだこの降りでは水かさは増えるいっぽう。
もっと高いところへ移動しなければ・・・。

しかし・・・、ノリタケの方にきいても高いところは無い。

これ以上降らないで・・・と祈るだけ。

道を歩けない状況になり、少し高くなっているノリタケの敷地に通りがかりの方が次々避難して雨宿り。
ギャラリーの階下はレストラン。落ち着いた、格調高いレストラン。
「レストランを開放しましたので、どうぞ中でお休みください」・・・
と、責任者のかたの配慮で皆さんがレストランへ。

私たちもギャラリーの閉館時間になったので、会場を片付けてレストランへ。

赤ちゃんもいたりして心配していたけれど、皆さんにお水が配られたり暖かい配慮に安心。
ずっと、情報を収集していただいて、「地下鉄東山線は動いています。亀島駅まではくるぶしまでぬれて行く事になりますが、それでも良いという方は駅までご案内します。」・・・。
何人かの方が出て行きました。

突然の災害・・・それでも、一人も騒いだり慌てる事無く、穏やかに時間が過ぎる。
その場所の、責任者の態度がそのまま避難した人たちの気持ちに直接反映するのだ・・・と、この身で知った貴重な体験であった。


ランプワークの作品展は日曜日まで開催中です。
盛況です。
Date: 2013/09/05


かすかに秋・・・
残暑ではなくて「残酷暑」だ・・・とどなたかがおっしゃっていたけれど、その暑さが嘘のような爽やかな風が吹いている。

京都東本願寺の廊下に座っていると、秋の風が吹き抜ける。
参拝者も少なく、静かな時間が流れて行く。
一年前の今日、突然亡くなった夫に会いに、
ここに収めていただいた夫に会いにひとりゆったり旅。

京都は大好きな町で、数えきれないほど訪れたところ。
思い出す必要もなく、私たちの日常のようでもあった。

来て良かった。
風はやむ事なく、優しくわたしを包んでゆれる。

ーーーーーーーーー

一年間、お休みしていた「しいばあのひとりごと」
この日に再開できなければ、もう再開はないなと何となく思っていた。
励まされ、力をたくさん頂いて、今日、再び更新です。

ゆったりまったり今まで通り、私らしく楽しみながら綴って行く。
Date: 2013/08/27


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